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【令和の重大事件1】川崎殺傷事件 ~令和最初の通り魔大量殺傷事件~ カリタス学園を狙った岩崎隆一の闇

シリーズ令和の衝撃事件1:川崎殺傷事件

令和元年5月28日(火)

令和最初の通り魔大量殺傷事件

事件は朝7時45分頃、神奈川県川崎市多摩区の登戸駅から少し離れたカリタス学園のスクールバスのバス停付近で起きた。登校中の児童や保護者20人が刃物を持った男に次々襲われ、犯人は現場で自殺。後味の悪い幕切れとなった。

 

犯人 岩崎隆一

岩崎隆一:51歳 無職 川崎市麻生区多摩美1丁目

 

犯人の岩崎は幼少時に両親が離婚。実母は離婚時に岩崎を手放し、父親も後に蒸発。父の兄にあたる伯父一家と実の祖父母が暮らす川崎市の家で育ったが、その生い立ちは孤独ともいえるものだった。

 

小学生時代の岩崎は、その生い立ちからくる寂しさからか先生の手を焼かせるなど難しい面があったという。

 

伯父一家の子供であるいとこ達はカリタス学園に通う一方、岩崎は公立の小中に通い、中卒後は横浜の職業訓練校へ。伯父が床屋に連れて行くと、いとこには坊ちゃん刈りを、岩崎には坊主頭をオーダーするなど、明らかに異なる待遇を受けて育った。

事件前年に北関東で亡くなった実父は生活保護を受けホームレス同然の生活だったという。

 

中卒後に進んだ訓練校の推薦で就職したものの、しばらくして退職。その後、町田の雀荘でドリンクの注文や灰皿の交換、客のメンバーが足りないときにはマージャンに加わる仕事に就き、近くのアパートで暮らしていた岩崎。97年に厳しかった祖母が他界すると養父母が暮らす家に舞い戻った。

近年は引きこもり同然で、同じ家で生活しながらも養父母と顔を合わせることなく暮らし、養父母が最後に岩崎を見たのは事件半年前の正月頃。遺体の身元確認の際もしばらく姿を見ていなかったため、本人かどうかわからなかったという程だ。

 

岩崎はパソコンやスマホを所持していた形跡はなく、事件後に報道される写真も小中学校時代のものばかり。長期にわたって世間からも隔絶された生活を送ってきたようだ。捜査関係者は「一体、どんな生活を送っていたのか」と首をかしげた。

 

高齢になり将来を見据えて高齢者施設への入居を検討し、あちこちの施設の見学に赴いていた伯父夫婦にとって気がかりなのは同居する岩崎の今後。川崎市に14回も相談を重ね、市から手紙でコミュニケーションを取ることをアドバイスされた。

 

市の助言に従った伯母は、事件の4ヶ月ほど前、岩崎に手紙を2度渡し自立を促す。それに対し岩崎は「ひきこもりとはなんだ」と憤慨。部屋にはビリビリに破かれた手紙が残されていたという。

 

 

伯母からの手紙が引き金になったのか、 岩崎は2月に入り凶器となった包丁を調達。この頃から事件を計画していたのかもしれない。

 

人生の不条理に思いを馳せ、カリタス学園への逆恨みを募らせていったのか。岩崎は事件の6日前にカリタス小学校を下見に訪れていた。学校やその周辺での襲撃も視野に入れていた可能性がある。

そして5月28日の朝。自宅を出て最寄の読売ランド前駅から電車に乗り、現場へと向かった岩崎は、一連の凶行の末、ためらうことなく首の前側の上下2カ所に自ら包丁を突き刺し絶命した。犯人亡きいま、犯行に至る境地を知ることは叶わない。

犠牲者 栗林華子さん

栗林華子さん:11歳 カリタス小学校6年生 多摩市桜ケ丘2丁目 

 

カリタス学園が大好きだった栗林華子さんは、学校見学に訪れた人に学校のいいところをたくさん教えてあげていたという。

 

母親も幼少期に通っていたという逗子の先生からチェロの指導を受けていたが、中学受験準備のため一時お休みしていた華子さん。将来は医師を目指していた。

 

華子さんの父武史さんは弁護士という説もあり、横浜の高校を出て中央大学法学部卒、同姓同名の40代、東京を拠点とする弁護士の存在がネットで確認できる。中央大学のキャンパスは華子さんの自宅からも近く、縁が感じられるようだ。

 

自宅近くの永山駅から登戸駅までは小田急線で15分足らずで到着。最寄り駅まで母親が車で送り迎えできない時にはタクシーを利用していたという。

華子さんを乗せたタクシーの運転手は「何度か乗せたことがあり、おとなしそうでかわいらしい子だなと思っていました。事件の前日に乗せたとき初めて会話をして、きちんと受け答えしてくれる優しい、礼儀正しい子だと感じました」と話した。

 

 

 

犠牲者 小山智史さん 

小山智史さん:39歳 外務省職員 世田谷区桜上水5丁目

小山智史さんはカリタス学園児童の保護者。出勤前に遠回りして子供をバス停まで送り届ける最中に事件に見舞われた。最期まで子供を守りきった家族思いの父親だった。

 

小山さんは宮崎県出身。宮崎大宮高校を経て東京外語大を卒業後、ミャンマー語のスペシャリストとして外務省に勤務。小山さんの妻は外語大の後輩だった。小山さんの長女はミャンマー赴任中に生まれたという。

 

家庭を大事にする一方、人望も厚く、非常に優秀で仕事に邁進していた働き盛りの小山さん。小山さんの死は国益をも損なう事態と言っても過言ではない。

 

小山さんへ内外要人からのお悔やみ 

小山智史さんの訃報にあたっては、上皇上皇后両陛下、アウンサンスーチーミャンマー国家顧問、駐日ミャンマー大使、岸田前外務大臣、河野外務大臣ら国内外の要人から弔意が寄せられた。

 

上皇上皇后両陛下

小山さんは両陛下のご在位中にミャンマー語の通訳を4回務めたことがあり、事件にお心を痛めた上皇ご夫妻は、小山さんの遺族に外務省を通じて弔意を伝えられた。

 

アウンサンスーチーミャンマー国家顧問、駐日ミャンマー大使ら

小山さんはアウン・サン・スー・チー国家顧問が2013年に来日した際に通訳を務め、私的な買い物にも同行していた。スーチー氏は、小山さんの妻に書簡を送り、日本とミャンマーの外交を支えてきた小山さんの死に哀悼の意と、その活躍に感謝の気持ちを示したという。

小山さんの死から5ヶ月になる令和元年十月、スーチー女史は天皇陛下の即位の礼に参列するため来日した。小山さんが存命であれば、通訳に私的なアテンドにと忙しく活躍していたであろう。その死が悔やまれてならない。

 

岸田前外務大臣、河野外務大臣

 

弔意と献花

折りしも来日中のトランプ大統領は事件の報に接し、同じ神奈川県の海上自衛隊横須賀基地の護衛艦「かが」での演説中「日本国民とともに被害者とその家族に哀悼の意を捧げたい」とお悔やみの言葉を発しました。また現場には多くの人が献花に訪れたくさんの花が供えられています。

カリタス学園への影響

多くの児童や保護者が標的になってしまったカリタス小学校は事件後休校。児童への影響はあまりに大きく、6月3日の再開予定を延期。6月5日から授業が再開された。スクールバスの利用者は半減し、自家用車での送迎も多かったという。

 

事件を受け、6月4日から予定されていた岩手県への修学旅行は中止。事件がなければ栗林華子さんも「遠野ふるさと村」や「花巻農業高校」などを訪れる予定だった。

 

事件後、日常生活を取り戻しつつあるものの、児童たちの心の傷は癒えず、登校できない子がいるという。また被害にあった子供の中には重傷を負い、一ヶ月経ってもなお入院中の子が数人いる模様だ。

 

事件から一ヶ月、学園では栗林さんと小山さんを悼むミサが執り行われ、約千人が参列した。

 

事件の波紋はカリタス学園の卒業生にも広がり、多くの卒業生が事件のために動いたという。

 

皆様へ ~今回の事件をうけて~ | カリタス学園

巻き起こった世論

この事件では多くの死傷者を出しながら自殺してしまった犯人への「1人で死ねば」という声に対し、反論の声があがり議論となった。

 

4日後に練馬で起きた元農水次官による40代の引きこもり長男殺人事件と併せ、中年引きこもりと同居する高齢親の「4070問題」「5080問題」への議論も巻き起こった。

 

度重なる川崎市での事件に「また川崎か」との声も聞こえている。

 

携帯もパソコンも持たない犯人岩崎の部屋に残されていたのはゲーム「ドラゴンクエスト」。この後一ヶ月以内に立て続けに起きた定職につかない中年男性の事件は、いずれも「ドラクエ」が関係していたことがわかった。これらの事件を後の世に「令和初期ドラクエ三大事件」と思い出す日がくるかもしれない。

9月2日 容疑者死亡のまま書類送検・不起訴

9月2日、神奈川県警は容疑者死亡のまま岩崎を書類送検。8日、横浜地方検察庁は不起訴処分とした。親族への聞き取りなどを進めたものの動機の解明には至らなかった。

 

罪もない児童と保護者が犠牲になったのに、怒りをぶつけるべき犯人はもういない。令和になったばかりの世に、なんともやり切れない思いを残した事件となった。せめて天に召された華子さんと小山さんが安らかな眠りにつかれるよう祈るばかりである。

 

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